top of page
  • literarylife

カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』と日本への想い

Updated: Sep 5, 2021

この1か月、カズオ・イシグロの新作『クララとお日さま』(Klara and the Sun, 2021)の話題で、TVにインターネットと持ちきりでした。作品構想から執筆におけるテクニーク、異なるジャンルへの挑戦など、存命のノーベル文学賞保持者(しかも66歳とお若い!)の話を聴くことができるのは、なんとも贅沢なことです。


小説家に限らず、ものづくりをする人は誰でも、自分の得意分野に留まるタイプと新境地を開拓するタイプに分かれると思いますが、イシグロ氏は断然後者。


初期三作品では、第二次世界大戦後の日本や英国で、世の中の風潮や人々の価値観が劇変する様が描かれ、読者は異国情緒に溢れる日本の生活様式や、英国紳士階級の屋敷における伝統を垣間見ることができます。一方、『クララとお日さま』や2005年出版の『わたしを離さないで』(Never Let Me Go)では、A.I.ロボットが主人公だったり、遺伝子操作や臓器提供などの倫理問題が扱われたりと、人間社会の未来に警鐘を鳴らしています。


英ガーディアン紙が世界に先駆けて主催した、オンラインによるインタヴュー会(於2021年3月3日)では、イシグロ氏が意図的に小説の舞台を日本から移した動機が窺えました。ひとつには「自分は日本文学を代表する作家ではない」と感じていたこと。処女作『遠い山なみの光』(A Pale View of Hills)が出版されたのは1982年。当時、イシグロ氏は日本国籍を保持しておられましたが、翌1983年、英国に帰化します。経緯に関して詳しくは語られませんが、「日本人だから日本の歴史や文化をテーマとした小説が書けた」と烙印を押す批評家たちへの、戸惑いと反発が背景にあったことは事実のようです。この思いは、同じく日本を舞台とする第二作『浮世の画家』(An Artist of the Floating World, 1986年) 出版後、さらに強くなります。


イシグロ氏にとって日本は、海洋学者である父親の仕事の関係で5歳の時に離れて以来、1989年まで一度も戻ったことがない祖国。彼の日本に対する印象は、父母との会話や祖父母からの手紙などを通して形成されたもので、直接的な体験によるものではない。したがって、日本は(印象派の絵画にあるように輪郭がぼんやりとした)ファンタジーの世界であった、と言います。1970年代までの高度経済成長期に、日本が新しい国へと変容すると共に、イシグロ氏の抱く母国のイメージも年々薄れていくことから、小説を執筆することで記憶に留めておきたいという、作家としての衝動があったようです。


このような状況を鑑みると、批評家がよく引き合いに出すイシグロ作品に特有の「一人称の語りによる曖昧さ」というのは、彼の日本に対する朧げな印象なくしては生み出されることがなかった、とも言え興味深いです。


∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


いろいろ聴いていて、再読してみたくなりました。初期作品は大昔に読んで以来、私自身の印象もかなり朧げです。という訳で、まずは第一作『遠い山なみの光』から。


語り手である「私」は、英国の郊外に住む悦子。彼女の許に数日滞在する次女ニキとのやり取り、そして今は昔となった日本在住時のある夏の出来事を回想する悦子、という二つの時系列を交互に織り交ぜながら、物語が進められます。


悦子の回想部では、友人である佐知子の人生と、義理の父親である緒方さんの人生に焦点が当てられます。回想のため、記憶が定かでないという前提があるものの、対話部は非常に明確に描写されます。特に緒方さんとは「阿吽の呼吸」で会話が弾み、ユーモアに溢れています。ここまで空気を読んで、細やかな気配りができる人というのは、現代では余りいないだろうな~、と感銘を受けました。


一方、佐知子は戦後の日本(1950-53年頃を想定)を逞しく生きる、新しいタイプの女性。しかし、悦子は自分の感情を抑えて他者を支える性格のため、他を批判することもなく、自身の感情に関しても、ほとんど語りません。ここが、イシグロの語りの面白いところでもあり、難しい点でもあります。読者もまた、行間を読んだり、作者のアイロニーを理解したりしながら、物語を組み立てていくことを要求されているのです。


この間接的な語りが難解、あるいはイシグロ作品は大したことを書いておらず、つまらない、と解釈してしまう読者もいるようです。特に、英語圏の読者レヴューを読んでいると、悦子と佐知子の性格の違いが見極められず、両者を混同する読者が多いようでした。日本人の視点から読むと、二人の違いは火を見るよりも明らかだと思うのですが、いかがでしょうか。また悦子の美しい着物姿と、長崎の観光地における山なみの景色の描写部は、川端康成の『古都』をも想起させます。


イシグロ氏は、英国イースト・アングリア大学の創作コースで修士論文を執筆のため、本作品を書き始めたようで、第一作でこの緻密さとは、驚嘆せざるを得ません。もっとも、一点だけどうしても腑に落ちない部分があって、悦子が渡英した経緯です。その点に関しては、物語中では触れない決まり事があり、読者の想像に委ねるしかないのですが。大戦のトラウマを抱えるのは皆同じで、私が得た「非常によくできた人」である悦子の印象にそぐわず、いつかイシグロ氏にお目に掛かる幸運があれば、伺ってみたいと思いました。


(文責©H.Shimazaki)

25 views
bottom of page