村上春樹氏の『東京奇譚集』(2005年)に収められている「偶然の旅人」を読みました。日本人と言うと、「ハルキムラカミをどう思うか?」と聞かれることが度々あります。村上作品は『ノルウェーの森』と『パン屋再襲撃』を大昔に読んだ記憶があるのみで、ほとんど知らず、避けては通れない課題となっていました。
いくつか短編とエッセイを読み、たまたま手にした本書ですが、もの凄く読みやすくてびっくり! 語り手、村上氏がアメリカ生活中に偶然の重なりを経験したことから、不思議なことは起こり得るものだという前半。そして、ピアノ調律師である都内に住むゲイの知人男性の身に起きた偶然へと、話は移行します。
ジャズ音楽、カフェ、ディケンズの小説、そして性の扱いと、短編のなかに村上ワールドを構成する要素が凝縮されているのですが、厭味にも詰め込みすぎという印象にもならず、洗練された滑らかな語り口で物語が展開します。特に、主題となっているゲイ男性の性に関する葛藤と人生の導き方が、情緒豊かで自然体。好感が持てました。そして、本書が出版されたのが2005年である点が、村上氏の先見の明を示していると思います。
もちろん、この頃までには日本でも同性愛者等の人権問題が議論されていたはずですが、世界中で広がったLGBTQ運動の結果として、社会的受容性が急速に高まったのは、近年のことではないでしょうか。2005年と言えば、米国の第一線で活躍する著名人でも、評判に傷がつくことを恐れて公に同性愛者であると認めることを避けていた時代です。例えば、アカデミー賞を二度受賞している俳優ジョディ・フォスターがカミングアウトするのは、2013年のことです。
短編なだけに、村上氏はこの問題をさらっと描き出しているのですが、それは話題性とか奇抜性を狙ってのことでもなく、懐が深いことを誇示するためでもなく、国際経験豊かな村上氏にとっては、他者との違いを受け入れることが至極当然の感覚として備わっていたからこそ、本作品が出来上がったのだと思いました。
個人的には、村上氏の一人称と三人称の使い分けが興味深かったです。彼は他の作品でもこれらの違いをよく扱っていて、おそらくアメリカ文学の翻訳を多数手掛けていることから、人称の違いを常に意識せざるを得ないのでしょう。冒頭で、語り手(僕・村上氏)が狂言回しとして饒舌に語る部分は、十九世紀のイギリス小説によく用いられた手法です。ウィリアム・メイクピース・サッカレーの『虚栄の市』(1847-48)に一番近いと思いますが、一方、非日常的な話を本当にあった話ですよ、と紹介するための「入れ子」の形式を用いた小説、例えばメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』(1818)やエミリー・ブロンテの『嵐が丘』(1847)も彷彿とさせます。
村上氏の語りの工夫もあってか、2021年に本作品を読むと、不思議な偶然は、誰にも起こり得る日常的な物語として、素直に受け入れられます。村上ファンにとっても、そうでなくとも、お薦めの傑作と言えそうです。
(文責©H.Shimazaki)
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