イギリスを代表する十九世紀の小説家ジェイン・オースティン(Jane Austen, 1775-1817)と劇場との関わりについて、ジェイン・オースティン・ハウス博物館が主催する講演会を聞いてきました(2021年1月27日)。といってもコロナ時代ですので、オンラインで。
こちらの博物館、今や10ポンド紙幣の顔となったオースティンが晩年の8年間を過ごした、英国南部の片田舎にあるチョートン村(Chawton)の田舎家を、一般公開したものです。オースティンが遺した『自負と偏見』(Pride and Prejudice, 1813)や『エマ』(Emma, 1815)などの、人間心理を鋭く観察した長編6冊はどれも秀逸で、ロンドンへ国費留学した文豪、夏目漱石をもってして「Jane Austenは写実の泰斗なり」と言わしめたほど。これまで数え切れないほどの翻訳や、続編を生み出してきました。また、映画化、舞台化のお蔭で、活字離れが進む21世紀の読者にとっても親しみやすい存在です。彼女の小説を愛する世界中の人々が、今も当時の自然が残るチョートン村を訪れています。
私も研究活動のため、縁あってこの村にしばらく滞在する機会を与えられ(2007年, 2015年)、チョートンは特別な場所となっています。しかし、Covid-19が世界中を震撼させたこの1年間は、イギリスでもロックダウンが続き、美術館や博物館では集客に苦戦しています。深刻な財政難もあるようです。一方、コロナ時代の産物として、これまでも進められてきたオンライン化が急展開し、文化事業団体が講演会などをオンラインで無料公開することに、積極的になったのも事実です。利用者の側からすれば、大変に有難いことだと思います。
コロナ以前も、ロンドン中心地にある大英博物館や国立美術館などでは、様々な催しを通して会社帰りの人たちに憩いの場を設けてきましたが、チョートンは何と言っても村ですので(☜リンク先のグーグル地図をご参照)そうもいきません。この村にはオースティンの家の他に、兄エドワード(Edward Austen Knight, 1767-1852)がかつて所有した、チョートン・ハウス(Chawton House)という十六世紀建造のマナーハウス(荘園屋敷)もあり、現在、1600-1830年の女性作家 が執筆した作品を1万冊近く所蔵する図書館(研究施設)および博物館として、一般公開されています。どちらも講演会や学会など、教育目的の集まりを催して来ましたが、ロンドンから電車で2時間弱という距離が難点で、遠方からの参加者は近隣の宿泊施設などを利用する必要があります。
緑が美しく、萱葺き屋根の民家が点在するチョートン村は、日本からの旅行客が多いコッツウォルズにも少し似て、イギリスの田園風景を絵に描いたような場所です。行き方などの案内は、今後、順次書き溜めていきたいと思いますが、この村がオースティン小説の愛読者にとって聖地であるだけでなく、十八世紀、十九世紀のイギリス文学や文化を学ぶ上で、重要な役割を果たしてきたことが、ここでお伝えできれば。今回の講演会、こちらのリンクからYouTubeでご視聴頂けます。プレミアでは、アイルランド、アメリカ、カナダなど、各地から視聴者が集まりました。
講演者は、十八世紀のイギリス文学・文化に関する本を多数執筆してきたポーラ・バーン氏(Prof. Paula Byrne)。オースティン・ハウス所蔵品の管理と解説責任者であるソフィー・レイノルズ氏(Sophie Reynolds)が、バーン氏にインタヴューする形で行われました。題名は、『ジェイン・オースティンと劇場』(Jane Austen and the Theatre)。これはバーン氏の博士論文を基にした著書にも用いられているタイトルで、彼女の専門中の専門。レイノルズ氏の質問の振りかたもよく、1時間のトーク中にオースティンの生涯と、劇場を軸とした作品執筆との関連が見事に凝縮されていて、とても楽しく聴くことができました。内容をかいつまんで記しますと、以下の通りとなります。(括弧内の数字は、何分経過した辺りでのトピックかを記します。)
・ジェイン・オースティンと演劇好きの大家族(3:30)
・十八世紀後半の紳士階級に流行した、家庭演劇について(5:50)
・どのような演目を家庭で演じたり、劇場に観に行ったりしたのか(7:45)
・夕食後の余興として、小説や詩などを家族で音読する習慣(10:58)
・ジェインの魅力的な従姉イライザの影響(12:30)
・演劇とは戯れのはじまり。兄ヘンリーとイライザを観察するジェイン(16:40)
・ジョージ王朝時代の女優の台頭と社会的立場(19:00)
・ジェインの観劇への熱狂(21:30)
・ジェインが十代半ばに記した習作(24:07)
・生誕地スティーヴントンからバース、そしてサウサンプトンへ(28:05)
・ジェインから姪アナ・ルフロイに送った1814年11月29日の手紙(32:00)
・歯に衣着せぬ演劇批評家ジェイン(34:28)
・エリザベス・インチボールドのヒット作である劇『恋人たちの誓い』を熟知した、当時のオースティンの小説『マンスフィールド・パーク』読者(40:50)
・道徳観念の強い主人公ファニー・プライスと、作家ジェインとの境界(44:23)
・ファニーを誘惑するヘンリー・クロフォードの演技力と危険な性的魅力(46:00)
・読者の鑑識眼と判断力を要求する作者オースティン(49:02)
・『分別と多感』の悪役ウィロビーより複雑な『マンスフィールド・パーク』のヘンリーの人物造形(54:00)
・オースティンの小説から着想を得た現代映画やドラマについて(56:10)
・劇仕立てとなっているオースティンの代表作『自負と偏見』の冒頭における台詞(57:10)
・映画Cluelessにおけるボイス・オーバーのテクニックと、オースティン小説に用いられた自由間接話法について(58:38)
トピックごとに並べると、このような順になります。現在視聴できるYouTubeのページでは、英語の自動字幕と、日本語での自動翻訳も表示できますので、お時間があれば、ご視聴ください。(ただ、YouTubeの自動字幕と機械翻訳は、間違いも多いです。)内容をまとめますと、以下のようになります(太字で表示)。注:バーン氏の発表のまとめですが、一般に知られるオースティンの伝記部分も含むため、時系列を置き換え、また曖昧な点をはっきりさせるために、私が補った部分もあります。どうぞご了承ください。(大幅に捕捉する際には、括弧をつけるようにしています。また、人物や家系図などWikipediaページ等を活用して、リンクを貼りました。視覚的に煩わしい感じになりましたが、すぐ検索できるよう利便性を優先しました。)
小説家ジェイン・オースティンを生み出す土台となったのは、文化や演劇を愛する大家族に囲まれていた環境。中でも、兄のジェイムズ(長男James Austen, 1765-1819)とヘンリー(四男Henry Thomas Austen, 1771-1850)は、十八世紀後半に紳士階級の家庭で流行した、晩餐後の余興ともなる家庭演劇(private theatricals)を熱心に行っていた。兄たちの演技を観て育ったジェイン自身も、成長に伴って演技をしたり小説を音読したりし、才能にも恵まれて、もてなすのが上手であった。彼女の家族サークルには、魅力的な従姉イライザ・ドゥフイード(Eliza de Feuillide, 1761-1813)も含まれる。彼らの演劇熱はかなりのもので、(有名な劇から)一幕芝居をするために(近隣の人に)鑑賞券を売った記録がある。
男女間での演技は、互いの手を握ったりするなど肉感的で、恋の戯れに近い要素がある。十八世紀の人気女優には王侯貴族の愛妾となった者もいて、例えば(放蕩で悪評の)摂政王太子(George IV, 1762-1830)の妾となった、女優メアリー・ロビンソン(Mary Robinson, 1757-1800)が挙げられる。同様に、才色兼備で性格的にもはっきりとした物言いをする(年上の)イライザに、演劇活動を通して親密さを増したジェイムズとヘンリーは、夢中になった。イライザは、オースティンの父親の姉フィラデルフィア(Philadelphia Hancock)の娘である。(十八世紀に大英帝国の植民地であったインド生まれで、1779年にフランスに渡る。1781年にフランス人伯爵と結婚。革命勃発に伴い、1790年にイギリスに帰国。1794年、夫はギロチンに掛けられる。)当時、イライザは婚姻関係にあったが、ヘンリーとは単なるいとこ以上に、互いに異性としての魅力を感じていることが、十代のジェインの目にも明らかであった。事実、(夫の処刑から三年後)イライザは(10歳年下の)ヘンリーと再婚する。ジェインとも仲がよく、劇場通いを共にした。
十代の多感な時期に目撃した、イライザとヘンリーの恋の戯れは、ジェインの創作活動にも多大な影響を与える。この頃、執筆した習作「ヘンリーとイライザ」という短い諷刺作品で戯画化されたのは、この二人。書簡体小説『レディ・スーザン』(Lady Susan, 1794. 'Love & Friendship'の題名で2016年にKate Beckinsale主演で映画化されている)では、美しく計算高い同名主人公のモデルになっているとも言われる。(貴族の夫の没後、未亡人となったレディ・スーザンが、縁戚関係にある好青年レジナルドを誘惑するという構図は、イライザとヘンリーの関係を想起させる。)さらに、長編小説『マンスフィールド・パーク』において、登場人物たちが家庭演劇を行う場面が描かれ、ジェインの実体験が投影されている。(主人公ファニー・プライスの恋敵であり)魅力的だが道徳的問題のある(ロンドン社交界から田園地帯へとやってきた)メアリー・クロフォード(Mary Crawford)の人物造形にも、イライザの人物像が想起される。
ジョージ王朝時代(Georgian era, 1714-1830)は、ロンドンの劇場で様々な演目が盛んに上映された時代で、数々の名役者を生み出した。シェイクスピア作品の上演で有名なギャリック(David Garrick, 1717-1779)はもちろんのこと、ジョージ・クック(George Frederick Cooke, 1756-1812)やウィリアム・エリストン(Robert William Elliston, 1774-1831)、セアラ・シドンズ(Sarah Siddons, 1755-1831)、ドロシー・ジョーダン(Dorothea Jordan, 1761-1816)など。また、劇作家としては『恋敵』(The Rivals, 1775)や『悪口学校』(The School for Scandal, 1777)を著した(政治家でもある)シェリダン(Richard Brinsley Sheridan, 1751-1816)や、ハナ・カウリー(Hannah Cowley, 1743-1809)、後に『マンスフィールド・パーク』に劇中劇として用いられる『恋人たちの誓い』(Lovers' Vows, 1798)を(原典のドイツ語から)翻案したエリザベス・インチボールド(Elizabeth Inchbald, 1753-1821)などが活躍した。
ジェイン・オースティンの演劇好きは、これらの俳優たちの演技を的確に評したり、次の公演を楽しみにしているなどの手紙を遺していることからも知られている。しかし、(父親の聖職からの引退にともなって1801年に移住した)バース時代の手紙が(ジェインの死後、姉のカサンドラが、不適切な内容を含む手紙をすべて捨てたと言われており)ほとんど現存しない。(バース時代のジェインの生活様式に関しては想像に委ねるしかなく)非常に残念である。十八世紀に社交場として栄えたバースには劇場があり、当時、ロンドンで活躍する人気俳優が公演のために二週間に一度訪れた。ジェインが生家、ハンプシャー州のスティーヴントン(Steventon)にいた頃は、劇場に足を運ぶのは、(ロンドンに住む)兄ヘンリーの下に滞在している時に限られていた。一方、バースでは劇場がすぐ近くにある。演劇好きのジェインが足繫く通ったことは容易に想像できる。
父親の没後(の1806年)、ジェインは(母親、姉と共に)兄フランシス(Francis Austen, 1774-1865)を頼ってサウサンプトン(Southampton)へ移住する。華やかな街バースと比べて、サウサンプトンは野暮ったい港町であったが、(温泉と海水浴場を備えた保養地としての街おこしのため)徐々に人気が出てきたところで、ここでも劇場へ行った。実際、ジェインの限られた一年の給付額(20ポンド未満)にとって決して安くはない17シリングという額(1シリングは1ポンドの20分の1で、17シリングは現在の10万円ほどの価値となる)が、当時流行のセーリング(water party)や観劇に使われた記録が残っており、彼女が観劇をいかに重要視していたかが分かる。かつてのジェイン・オースティン研究では、(後にチョートンに落ち着くまで)バースやサウサンプトンに滞在していた頃、ジェインは都会の喧騒になじめず不幸せであった、という説が長いこと唱えられてきた。しかし、(ロンドンに次ぐ消費文化のある)バースを彼女が道徳的に問題視したという意見は、まったくの見当違いである。ジェインにとって、(観劇等の)娯楽は大変に重要な意味があった。バースでもサウサンプトンでも、幸せな時を過ごしたはず。
さて、小説『マンスフィールド・パーク』創作に関して。(先述の劇中劇に用いられている)『恋人たちの誓い』は、ジェインがバースに住んでいる時に15回の公演があり、少なくとも1回は観劇したようだ。そして、当時の小説読者が、この劇に慣れ親しんでいることをジェインは確信しており、これを念頭に執筆している。しかし、この劇を脚色することには危険もある。原作では、(男爵の娘Ameliaという若い)女性の側から(貧しい)牧師(のAnhalt)に求婚が行われており、これはオースティンの時代には絶対あってはならないことであった。二人の役柄を演ずるメアリーと、牧師になるため任命を待つエドマンド(Edmund Bertram)の間で恋の駆け引きが行われるのを、(彼を密かに慕う従妹で主人公の)ファニー(Fanny Price)が心穏やかならず観察する。そして、(恋愛が成就する)原作の成り行きを知る当時の読者も、ファニーの心中を思いながら行方を見守る。さらに、裕福な紳士で浮気者のヘンリー(Henry Crawford)と(婚約中でありながら彼に恋焦がれる)マライア(Maria Bertram)が、劇中の息子(Frederick)と母(Agatha)の役柄を演じる場面が、第一巻の終わりにある。原作では、息子が母の手を取るという何気ない動作だが、小説では(後に二人が駆け落ちする展開を予期させ)二人の親密な関係を暗示している。
このように、当時の読者が流行の劇を熟知していることが、オースティンの小説世界構築の上で大前提となっている。ヘンリーの演技力と男性としての魅力を認めつつも、マライアを誘惑する姿から彼の道徳性を問題視する観察者ファニー。オースティン研究では、作者オースティンとファニーの視点をとかく同一視しがちである。しかし、ここでオースティンが試みているのは、小説の背景にある原作での役柄と、実際の役柄とを交錯させることで、直接的な表現を抑えながら読者に展開を予測させ、じりじりと気をもませていること。ヘンリーの人物造形は、同じように性的魅力によって女性を誘惑する、『分別と多感』(Sense and Sensibility, 1811)の悪役ウィロビー(John Willoughby)に比べて複雑である。ウィロビーには金銭的な目的があるが、ヘンリーの場合は演技そのものに支配力がある。後にシェイクスピア劇の朗読をする場面でも、ヘンリーには当代の人気役者たちと同じ圧倒的な魅力があることを、オースティンは小説の形で描き出している。おそらく、読者の反応を予期しながら、作家として愉しんで執筆したに違いない。
このようにジェインの家庭演劇や観劇によって培った感性や観察眼は、彼女の創作に色濃く反映されている。代表作『自負と偏見』の冒頭部分でも、台詞回しのように章のほとんどが会話で成り立っている。ナレーションよりも、人物の会話から読者が情報を得るというのは、舞台の特長。また、オースティン小説には、人物が部屋に出たり入ったりする様子が丁寧に描かれ、舞台上を行き来する役者を読者が頭の中で容易に想像できる。したがって、現代において、オースティンの小説が繰り返し映画あるいはドラマ化されるのは、そもそも彼女の創作に劇という要素があるため、自然な成り行きである。
翻案作品の中でもバーン氏自身のお気に入りは、現代アメリカ(ビバリーヒルズ)に舞台を移した『クルーレス』(Clueless, 1995)という映画。他作品では、小説から映画化の段階で、語りの部分が失われてしまうのが残念だが、この映画に限っては、主人公が頭の中で考えていることがボイスオーバーの形で表現されている。これは現代小説で用いられる自由間接話法の代わりをしていて、現実と想像世界とのギャップに対する皮肉がよく描かれている。『マンスフィールド・パーク』は何度も映画化されているが、まだ満足できるものがないので、今後、新しい翻案作品が創られることに好期待している。
という訳で先述の通り、オースティンの自伝的要素と作品構築との関連、そして現代の翻案作品とのつながりが、演劇というテーマを通して1時間の講演中に凝縮されていました。バーン氏の十八世紀の演劇に関する専門性に加えて、気さくな性格も手伝って、視聴者を引き込む楽しい会でした。個人的には、小説の自由間接話法と映画のボイスオーバーのテクニックの関連への指摘が、その通り!と頷けることと、バーン氏の歴史的読みによってオースティンの作家像を覆すような発言が面白いと思いました。
というのも、これまでのオースティン伝記作家たちは、バースやサウサンプトン時代のジェインにとって、創作活動に身が入らなかったのは騒々しい環境のため、と見なしてきました。確かに、父親の聖職からの引退と死去に伴う転地という点では、落ち着かない日々であったに違いなく、また財政状況的にも難があったのも事実です。ただ、後に世界中で愛されるようになるプロの小説家が、どのように誕生したかという点において、流行の劇を鑑賞していくことで磨いた観察眼が、小説世界の奥深さを描き出すことに役立っているという指摘は、とても納得できます。つまり、小説を読みあさった文学少女時代を経て、晩年、美しい自然に囲まれたチョートンの田舎に落ち着くことで、インスピレーションを得た、というこれまでのシナリオより、むしろ当時の流行、人気役者、そして彼らの気迫の演技、というものに率先して触れることで、オースティンの内なる作家魂に火をつけた、という積極的な読みに、共感できました。
さて、オースティン・ハウスでは、この月1回の講演会をAusten Wednesdaysと名付けて、毎回、YouTubeに掲載してくれるようですので、今後も楽しみにしたいと思います。
(文責©H.Shimazaki)
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